2010年11月13日土曜日

うどんは大阪、そばは東京がうまい。

タイトルどおり。うどんとそばって、素材も太さも違うので風味も食感も違う。同じダシで食べるというのがそもそも乱暴な話だ。ラーメンやスパゲッティの麺をうどんやそばのダシで食べるだろうか?

魚介系の出汁と醤油・みりんの組み合わせでダシを作る場合に、うどんに最適化すると大阪風になるし、そばに最適化すると東京風になるのだと思う。実際、大阪でもざるそはのダシは東京のそれに近い。温かいうどんやそばで同じダシを使うのは手抜きだと思う。

2010年11月12日金曜日

忍び込む愛国心

YAHOOのコメント欄などを見て、腹が立ったり、嫌な気分になったりするということは、自分もまた「愛国心」にとらわれているということだ。誰がバカなことを言っていようと、バカな意見に「私もそう思う」人が何千人いようと、「気の毒な人がいるね」と思っていればいい話で、それを憂える必要は無い。「やれやれ。どうしようもない国だね」と苦笑していればいいのである。非国民でありたいと思っていても、愛国心はいつの間にか忍び込んでくる。危ない危ない。

内田樹氏が、人は愛国心によって同胞を憎み、同胞への怒りや憎しみによって愛国心を証明しようとする、というようなことを書いていて、まったくその通りだと思ったのだが、自分自身もその罠にかかっていた。気をつけよう。

2010年11月10日水曜日

殺人を熱望する人たち

2人殺害切断、男に死刑求刑=「人間の所業と思えず」—裁判員裁判・横浜

時事通信 11月10日(水)10時14分配信
 マージャン店経営者ら男性2人を殺害し遺体を切断、遺棄したとして、強盗殺人と死体損壊などの罪に問われた無職池田容之被告(32)の裁判員裁判が10 日、横浜地裁(朝山芳史裁判長)で開かれた。検察側は論告の冒頭で死刑を求刑し、「残虐かつ猟奇的で人間の所業とは思えない」と非難した。裁判員裁判での死刑求刑は2例目。
 公判は午後に弁護側の最終弁論で結審。評議を経て、判決は16日に言い渡される。池田被告は起訴内容を認めており、焦点は死刑適用の適否に絞られ、裁判員は重い判断を迫られる。
 論告で検察側は、電動のこぎりで生きたまま被害者の首を切断したことについて「被害者の恐怖と肉体的苦痛は想像を絶するという言葉では表現できない」と指摘。動機は覚せい剤密輸の利権を得るためだとした上、「私利私欲のために何の関係もない2人を殺害し、人間性のかけらも見いだせない」と指弾した。さらに、極刑を望む遺族感情や社会に与えた影響も考慮すべきだと主張。死刑適用の基準として最高裁が1983年の判決で示したいわゆる「永山基準」を説明し、「この基準に照らしても死刑を免れない」と述べた。
 

知性と品性の下劣な人々の見本といえば、YAHOOニュースのコメント欄の右に出るものは無い。特に、ニュースに「中国」「韓国」「北朝鮮」「死刑」などのキーワードが含まれている場合はウジャウジャとわいて出てくる。

hid*****さん
* 私もそう思う3,539点 私はそう思わない100点
* 今回も死刑回避になるようなら裁判員裁判は廃止を含めた見直しが必要。

sou*****さん
* 私もそう思う2,509点 私はそう思わない34点
* 極めて妥当だ。

d62*****さん
* 私もそう思う2,363点 私はそう思わない34点
* 残虐非道な犯行で不快極まりない。極刑以外の選択肢はないのでは?

mas*****さん
* 私もそう思う2,045点 私はそう思わない35点
* >耳かきと何が違うんだろうか。

耳かきは殺人だが今回は強盗殺人。
しかも死体損壊が付いてる。

msm*****さん
* 私もそう思う1,566点 私はそう思わない7点
* 生きたままで首を切断されるのは被害者にとって残忍過ぎじゃないですか・・・
いくら実行の判断役じゃなくても、自首をしたとしても許されない事には
変わりないと思います。


遺族が死刑を望むのは分からないでもないが、何らの直接的被害も受けていない人がこれほどまでに死刑(=国による殺人)を熱望するというのは、一体何なのだろう。「不愉快きわまりない」から殺せというのでは、「ムカついたから殺しました」と大差ない。結局、誰かを殺してスカッとしたいというのが本質で、凶悪とか残酷とかは、殺人を欲望することを正当化するための口実に過ぎないのだろう。殺人犯も、殺人犯に死刑を望むものも同類である。